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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)22号 判決

原告 渡部繁太郎

被告 日本弁護士連合会

主文

被告が昭和三六年二月一〇日付の「大阪弁護士会が昭和三三年一二月一五日付で原告に対してした懲戒処分を左のとおり変更する。原告に対し三月間弁護士の業務を停止する。」との決定書を昭和三六年二月一三日原告に送達してした懲戒処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、請求の原因として、つぎのとおり述べた。

原告は昭和二三年五月一一日弁護士名簿に登録を受け、大阪弁護士に入会し、弁護士業務に従事して今日にいたつている者である。

大阪弁護士会は、原告に所属弁護士会の信用を害し、弁護士の品位を失うべき非行があつたとして、昭和三三年一二月一五日付審決書にもとづき原告に対し、六月間弁護士の業務を停止する旨の懲戒処分をした。原告がこれに不服を唱えて日本弁護士連合会(以下、日弁連という)に異議の申立をしたところ、日弁連は、その懲戒委員会の別紙理由による議決書にもとづき、昭和三六年二月一〇日付で「大阪弁護士会が昭和三三年一二月一五日原告に対してした懲戒処分を左のとおり変更する。原告に対し三月間弁護士の業務を停止する。」旨の決定をし、原告は昭和三六年二月一三日その送達を受けた。

しかし、右懲戒処分は、以下述べるとおり不当であるので、その取消しを求める。

原告は、昭和三一年六月下旬、金永祚の田中康弘に対する約束手形金請求の確定判決にもとづき田中所有の不動産につき強制競売開始決定のあつた事件につき、田中から相談を受けた。田中のいうところによると、田中が手形金三二万五、〇〇〇円およびその利息金を弁済のため提供したのに金は元利損害金合計五〇万円ほどを払わねば強制執行を解くことができないといつて受領しなかつた、ということであつた。原告は、右債務金を弁済供託して請求に関する異議の訴を提起し解決をはかる方法があると説明して、その事件を受任した。

そこで原告は田中の代理人として、同年七月四日右約束手形金元利金として金三二万八、七一四円を、同月六日執行費用として金一万五、〇〇〇円をそれぞれ大阪法務局に供託し、同月九日、右弁済供託により債務が消滅したことを理由に、右確定判決に対する請求異議の訴を大阪地方裁判所に提起するとともに、右強制競売開始決定取消しの申立をした。右の申立は許容され、同月一一日、競売開始決定は取り消され、その旨不動産登記簿に記入された。

これよりさき同月八、九日頃、浅井と称する一見事件屋風の大きな男が金の代理人だといつて原告の事務所にあらわれ、凄い見幕で、「こんな供託をしても何にもならぬ。これにはいろいろな費用がかかつているので手形金と合わせて五〇万円ほど出せば話をしてやる。」といつて、供託通知書(七月四日に供託した分の通知書)を応接間の机の上にたたきつけて帰えつた。

そのことがあつてから二週間後に、田中が原告の不在中電話で、「金は供託金はいらないと供託通知書を返えして来たようだが、供託金は友人から借りて納めたもので返済を迫られているから、是非供託金を取り下げてくれ。」といつてきたが、原告の事務員門脇藤一は「弁済供託をしたことによつて強制競売開始決定は取り消されたのであるから供託を取り下げることはできない。」と答えた。ところが、田中は、弁済供託金を供託者の手で取り戻す方法がある旨述べ、金が供託通知書を突き返えしてきたことを口実に供託金を取り戻すことを強く要求し、これに対し門脇は強く拒否したので、電話口で喧嘩口論となつた。このことは、原告はあとで門脇から報告を受けて知つた。

同年七月二六日午後一時頃、田中は一人の男とともに原告の事務所にきて、供託金はこの人から借りたもので、返済を迫られているから、供託金を取り下げるようにしてくれといい、連れの男は「すぐ返えしてもらう約束で田中に金を貸したが返えしてもらえないのでこまつている。和歌山から来たのだから、手ぶらでは帰えれぬ。供託金を取り下げて返済してもらうようにしてくれ。」といい、ともに供託金の取戻しを要求したが、原告は取り戻すべきものでないと強く拒否した。その時まで、原告は、本件のような弁済供託金は供託者側から取り戻すことはできないと思つていたが、右両名は取戻しの方法があるといい、夕刻までねばつてその要求をした(なお、この連れの男は大阪市に事務所をもつ司法書士桜本三郎であり、田中にいろいろ入智恵をしている男であることがのちにわかつた)。結局、原告は考えておくといつて、なだめて、両名に帰えつてもらつたが、両名は翌二七日午前一〇時頃再び原告の事務所に来て供託金の取戻しを要求し、原告が拒否したのにもかかわらず長時間頑張り、田中は「自分の金を必要に迫られて取り下げるのに代理人は何故拒否するか。ことに金永祚は供託金はいらぬといつて供託通知書を返えしたではないか。」と大声でどなり、桜本も「他人から借りた金を田中に貸したので貸主からきつく責められてこまつている。そのため仕事も手につかない有様だ。助けると思つて返えすようにしてくれ。」と泣かんばかりに懇願した。原告は拒否しつづけたが、田中らは三時間半にわたつて言葉を変えくりかえし供託金の取戻しを要求し、ついには「自分らの要求に応じなければ事件を依頼した俺は代理人を解任する。そうすれば弁護士は預つている一切の書類を依頼者に返還しなければならない。書類を返せ、返せ。」と迫り、拳固で机を打ち、立ち上つて今にも殴りかかろうとする威勢を示した。この状況を見て原告は、ここまできてはもはややむをえない、むしろ進んで辞任すべきだと思い、「そのような無茶をいう者の代理人はやれぬ。辞任する。」といつて、その場で辞任届を作成し、供託書その他一切の書類を田中に返えし、辞任届はその日のうちに裁判所に提出した。

田中は、原告から本件供託書二通を受け取るや直ちに大阪法務局で供託金の取戻手続をし、日本銀行大阪支店で小切手を現金に替えた。これらの手続の時には原告の事務員門脇を田中と同道させたが、それは田中の代理人としての原告が門脇に事務を処理させるためではなく、供託書に原告の印が押されていたのでその手続きを処理させるためと報酬を受け取らせるためとであつた。原告は報酬金として五万円程度請求するよう門脇に指示しておいた(右事件を受任するにあたつて田中が供託金および印紙代等の実費しかないというので、着手金は受け取つていなかつた)ところ、門脇が日本銀行大阪支店から電話で「ただ今換金したが将来金永祚との間に問題が起ることも考えられるから解決の一助ともするためにいくらか金を預かつておいた方がよくはないだろうか。」といつてきたので、門脇に委せると答えておいた。

門脇は原告の報酬分を含めて金一四万円を預かることにし、同人の預り証を出して右金員を預つてきてその旨原告に報告したので、原告はこれを受け取り保管していたが、昭和三二年六月頃報酬金を除いた金九万円を田中に返還した。田中はこれを金に支払つて金と示談をした。

原告のやつたことは右のとおりであるが、原告の処置は非難に値しない。

原告は田中のしつこい要求を拒否しつづけていたが、田中が原告を解任するといい、ついには暴力行為に出ようとする態度さえ示すに及んで、供託書を田中に渡したのである。これは社会通念上やむをえないことである。原告が体をはつてまで田中の要求を拒否しなかつたからといつて原告を非難することはできない。何人を原告の立場においても同じように処理したのではあるまいか。

被告は、その議決書の中で、「原告は依頼者の不信義の挙措を防止すべき適切の措置を講ずべきであつた。」といつているが、しかし、この場合、田中の供託金取戻しを防止すべき適切な措置があつたとは思われない。供託者が供託物を取り戻そうとするのを代理人が阻止する適切な手段はない。ことに、供託者は供託書なしでも供託金を取り戻すことができることは供託物取扱規則第一〇条に規定してあるとおりであるから、原告が田中に供託書を渡さなかつたとしても、田中は供託金を取り戻したであろうから、原告が供託書を田中に渡した行為は原告の非行とするには足りない。

被告は、また、その議決書の中で、「原告は供託金の取戻しおよび取戻供託金の処分に協力的に関与した。」といつている。しかし、供託金取戻しの際原告が事務員門脇にやらせたことのうち、報酬金を受領させた行為は当然の権利の行使であり(機を逸しては田中のような依頼者から報酬をとることはできなくなる)、示談金を確保させた行為は後日生ずべき田中と金との間の紛争を解決するための予防的措置であつて紛争当事者双方に利益をもたらすものであるから非難に値する行為ではない。

本件は原告が田中と金の抗争の渦中にまき込まれて不慮の火の粉を浴びた事件である。田中の人となりは上来説明したところで知ることができよう。金はさきにぞう物故買罪で懲役一年罰金八万円の刑を受け、その執行を終つた者で、最近は暴利取締法、弁護士法違反の疑いで逮捕されている。

原告の処置は多少軽卒なりとのそしりを受けることはあつても、弁護士として非難を受けるに値するものとはいえない。

かように述べた。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、つぎのとおり答弁した。

原告がその主張のとおりの弁護士であること、大阪弁護士会が原告主張のとおり原告に対し懲戒処分をし、原告がこれに対し異議を申し立てた結果、被告が、原告主張のとおりの処分をし、その決定書が原告主張のとおり原告に送達されたことは認める。

被告の主張は別紙議決書の「理由」に出ているとおりである。

原告が田中康弘に強要され、結局、供託書を渡した行為は非難に値する度合の薄い行為ではあるが、全然非難に値しない行為とまではいえない。

本件において供託金を取り戻すことは強制執行を免かれ、裁判所を欺く結果を招くもので、強い道義非難を免れない行為である。このような行為を強要する田中に対しては原告は執行裁判所へ同道して説得してもらうなど適切な方法をとれなかつたわけではない。

また原告は辞任届を裁判所に提出しているが、原告の事務員門脇藤一をして供託金取戻しに協力させている。もちろん、それは、田中から報酬をとる必要があつたからであるともいえようが、門脇の預かつた金一四万円のうち九万円は後日生ずることが予想された紛争解決に資するふくみのものであり、これを原告は何らの疑念なく預かつている。このいきさつからみると、原告は裁判所に係属している事件については訴訟代理を辞任したが、田中と金との間の紛争全体としてみるときは、田中と縁を切るほどに完全には辞任していなかつたことが明らかである。すなわち、原告は田中に対し陰に協力態勢を維持していたのである。他に適当な方法が全然なかつたとはいえないのにかかわらず、このように陰に協力態勢を維持したことは、弁護士として非難に値することであり、弁護士の信用をおとすものである。

かように答弁した。

(証拠省略)

理由

原告がその主張のとおりの弁護士であること、大阪弁護士会が原告主張のとおり原告に対し懲戒処分をし、原告がこれに対し異議を申し立てた結果、被告が原告主張のとおりの議決書にもとづき原告主張どおりの処分をし、その決定書が原告主張のとおり原告に送達されたことは、当事者間に争いがない。

よつて、原告に被告のいうような非行があつたかどうかについて判断する。

原告は、昭和三一年六月末から七月初にかけての頃金永祚の田中康弘に対する約束手形金請求の確定判決にもとづく強制執行(田中所有の不動産に対する強制競売)に関する紛争について田中から委任を受け、金永祚に対する右債務の弁済供託として同年七月四日に金三二万八七一四円、同月六日に金一万五、〇〇〇円を大阪法務局に供託したうえ、供託書は手許に保留し、供託の旨を金永祚に通知したこと、そして、原告は田中の代理人として右弁済供託により債務が消滅したことを理由として金永祚を相手取り大阪地方裁判所に右確定判決に対する請求異議の訴訟を提起するとともに、金永祚から田中に対する右強制執行処分の取消しの申立をして、同月一一日強制競売開始決定の取消決定を得たこと、ところが同月二〇日過ぎる頃から田中は原告に対し、右弁済供託金を取り戻し返還を受けたい旨要求するようになり、原告がこれを非として拒絶したが、どうしてもききいれず、ついに原告に対する委任を解除するといつて供託書の引渡を強談するに至つたこと、原告は、結局、供託書を田中に渡し、なお、供託金の取戻しを田中が求める際原告の事務員門脇藤一を同行させ、取戻しを受けた供託金の中から金五万円を事件処理の報酬として、また金九万円を、後日田中と金との間に起ることが予想された紛争解決の資金とする趣旨で田中から受領させたことは、当事者間に争いがない。

被告は、「原告としては、供託金取戻しという不信義(強制執行を免れ、裁判所を欺く結果を招く)な行為をしようとする田中を執行裁判所へ同道して説得してもらうなど、田中の不信義の挙措を防止すべき適切な措置を講ずべきであつたのにかえつて事務員門脇を同道させ、田中の供託金取戻しに協力させ、取り戻した供託金の中から報酬五万円、金との間の紛争解決資金九万円を預からせた。これは弁護士として非難されるべき非行である。」という。

ところで、乙第七号証、第一一号証、第一二号証の二、三(いずれも真正にできたことに争いがない)と証人田中康弘、門脇藤一、星野協子の各証言、原告本人尋問の結果とを合わせ考えると、この点のいきさつとして、つぎのとおり認められる。

原告がその主張のようないきさつのもとに二回の弁済供託をしてから一週間ほどして、債権者金永祚の代理人と称する浅井某が原告の事務所に現われ、「金永祚の関係で供託通知書を受け取つたが債権額の外に一〇万円か一五万円払わないと受け取れない。」といつて供託通知書を事務所の机の上にたたきつけて帰つたことがあつた。

その後田中康弘が原告に対し供託金の取戻し、供託書の引渡しをしつこく要求するようになつた。田中は、「弁済供託後でも供託者は供託金をおろすことができる。金永祚が供託金はいらぬといつているのだから、供託金をおろしてくれ。」というのであつた。原告は「弁済供託によつて債務が消滅したことを理由に強制競売開始決定の取消しを受けたのであるからそのようなことは許されない。」と、田中のいうことの非を説明して、その要求を拒んだ。そんなことが二度ほどあつてのち、昭和三一年七月二七日、田中は桜本三郎(司法書士)を伴つて原告の事務所を訪れ、さらに同じことを要求し、原告が拒否したにもかかわらず長時間ねばり、しつこく同じ要求をくりかえし、はては、「代理人を解任するから供託書はじめ一切の書類を返えせ。」と、ほかにも来客がある中で大声で迫り、今にもつかみかからんばかりの態度を示した。このさまを見た原告は、腹立ちまぎれに、むろん進んで辞任しようと考え、「そのような無茶をいう者の代理人をやつていくことはできぬ。辞任する。」といつて、その場で辞任届を作成し、供託書を田中に渡し、辞任届はその日のうちに裁判所に出した。

田中は原告から供託書を受け取るやすぐ供託金取戻しのため大阪法務局へ、ついで小切手換金のため日本銀行大阪支店へ赴いたが、原告はこれに事務員門脇を同行させた。それは、供託書に原告の印が押されていたため、供託金取戻しにも原告の印が必要であると思つたのと、原告がまだ報酬を田中からもらつていなかつたためとである。大阪法務局では田中がみずから田中名義で供託金取戻しの手続をした。門脇は日本銀行大阪支店から原告に電話して「供託金の中から金一四万円預かつておきたいが。」といつた。門脇としては、のちに原告が、金永祚から攻撃されて起ることが予想されたごたごたの解決金と、原告の報酬金とにあてたいためであつた。原告は門脇に、委せる、と答えた。門脇は金一四万円を田中から預かつたので、原告もこれを預かつておいた。のちに原告は田中と話し合つて、その内から金五万円を報酬にもらい、九万円は田中に返えした。

以上のとおり認めることができる。

原告は田中の代理人として弁済供託をし、これによつて金永祚に対する債務が消滅したことを理由に確定判決に対する請求異議の訴を起すとともに、強制執行処分の取消しの申立をして田中の不動産に対する強制競売開始決定の取消しを得たのであるから、田中はもはや供託金を取り戻す権利を失つたとみることができ(その権利を放棄したとみるのが相当である)、したがつて原告も田中の代理人として右供託金の取戻しをすることができなくなつたものといわなければならない。したがつて、田中の代理人である原告が、それにもかかわらず右供託金を取り戻し、または田中に取り戻させたとすれば、それは弁護士としてはなはだ非難に値する行為をしたことになる(もつとも、田中が原告と関係なく供託金を取り戻そうとすれば原告としてはそれを適切に防ぐ方法をもたない)。しかし、本件では原告は田中のしつこい要求をその非なるゆえんを説明して拒みつづけ、さいごに、七月二七日に、田中が原告の来客がいる中で、原告を解任すると大声でどなり、つかみかからんばかりの態度を示して供託書の引渡しを強要したので、原告ももはややむなしとし、みずから辞任する意思を明確に表示して供託書を田中に渡したのであるから、原告のやつたことはやむをえないことであり(解任され、辞任すれば、供託書は結局田中に渡さなければならない)、弁護士として非難に値する行為とまでいうことはできない。被告は、原告としては例えば田中を執行裁判所へ同道して説得してもらうなど適切な方法をとるべきであつたというが、原告の説得をきこうとせず、さきに説明したような態度に出ていた田中が、原告について裁判所へいつたろうなどと想像することはとうていできない。したがつて、原告が被告のいうようにしなかつたことをもつて原告を非難するのは当らない。仮りに原告が被告のいうようにすべきであつたとしても、それをしなかつたことをもつて原告の弁護士としての非行とまでいうことは酷である。ほかに原告のとるべき適切な方法があつたとも思われない。

また、被告は、原告がその事務員門脇をして田中の供託金取戻行為に協力させたといつて、原告を非難している。しかし、供託金取戻しの起つたのは原告が田中の代理人でなくなつたのち、田中がどうしても供託金を取り戻すといいはり、原告としてこれを防ぐ適切な方法をもたなかつた状況のもとで起つたことであることを留意する必要がある。門脇としては供託書に原告の印が押してあつたので田中が供託金を取り戻すのに原告の印が必要であろうと考えたのと、原告の委任事務処理の報酬をまだもらつてないことが頭にあつて田中に同行したのである(事実は田中がその名義で供託金を取り戻した)。原告がその事務員門脇にやらせたことは田中の供託金取戻行為に協力させたなどという大げさなことではない。

ただ、その際、門脇が田中から金一四万円を預つたこと(そのことは原告が諒解している)、その中に報酬金の外のちに金永祚との間に起るであろうことが予想されていたごたごたの解決金のふくみの金がふくまれていたことは、いささかふにおちないことである。原告が報酬金をもらうこと自体は少しもさしつかえないが、前記いきさつのもとに田中が取り戻す供託金の中からそれをとろうとするようなことは清潔を旨とする弁護士としてはさしひかえるべきであろう。また、原告はもはや田中の代理人ではなくなつたのであるから(もつとも被告は原告が右解決金を預かつたことを根拠として原告はまだ完全に田中の代理権を失つたのではないといつているが、被告のようにみることは無理である)、門脇が右の解決金を預かるというようなことは、まことにいらざることといわなければならない。この点、原告のやつたことは軽卒のそしりを免れることはできない。しかし、前の場合については、前記のような田中から報酬金をとることは、機を逸したがさいご、容易なことでないことも考えなければならないし、後の場合については、さきに金永祚の代理人と称する浅井某が凄みをきかして帰つたいきさつがあり、後日金が原告方へねじ込んでくることがある程度予想される状況にあつたことも考え合わせなければならない。いずれも弁護士としてあるまじき非行と、声を大にして責め立てるにはあたらないと思われる。

要するに、原告のやつたことの中にはある程度の非難にあたいし、軽卒のそしりを免れない点はあるが、原告が弁護士法第五六条に定める所属弁護士会の信用を害し、弁護士の品位を失うべき非行をしたとまでいうことはできない。したがつて、被告の行つた前記懲戒処分は不当として取消しを免れない。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義廣 市川四郎 中田秀慧)

別紙

議決書の「理由」

申立人(本件原告)は、昭和八年一一月高等試験(司法科)に合格し、昭和二三年四月一四日まで司法官を奉職、同二三年五月一一日弁護士名簿に登録して大阪弁護士会弁護士として爾来弁護士業務に従事し現在にいたつたものであるが、本件懲戒事件については、申立人の大阪弁護士会および当連合会における申述、関係裁判記録および供託関係書類等によつて、以下の事実を認めることができる。

申立人は、昭和三一年七月初頃、田中康弘の金永祚にたいする確定判決にもとづく約束手形金債務にかんする紛争解決について田中康弘(以下依頼者という)の委任を受け、金永祚にたいする右債務の弁済供託として大阪法務局に昭和三一年七月四日金三二万八、七一四円および同月六日金一万五、〇〇〇円をそれぞれ供託した上、供託書は手許に保留し、供託の旨を金永祚に通知した。そうして、申立人は依頼者の代理人として右弁済供託に因る債務の消滅を原因として金永祚にたいし、大阪地方裁判所に請求に関する異議の訴訟(大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第二八二三号事件)を提起し、また、金永祚から田中康弘(依頼者)にたいする大阪地方裁判所昭和三一年(ヌ)第二九号不動産強制競売事件において、右弁済供託の事実を主張して、昭和三一年七月一一日強制競売開始決定の取消決定をえるにいたつた。しかるところ、同月二〇日前後より依頼者は申立人にたいし、右弁済供託金を取戻し返還を受けたい旨懇請するにいたり、申立人はこれを非として拒絶したが、依頼者は仲々きき入れず、ついに申立人にたいする委任を解除する旨および供託書の引渡方を強談してやまないので、申立人は漸くこれに協調し、供託書を依頼者に交付し、その供託金の取戻について事務員門脇藤一を付添わせ、前示供託金の取戻を受けた上、その内金五万円を事件審理の報酬として受領し、金九万円を後日金永祚との間に生起することの予想せられる紛議解決の資に供するふくみでこれを預らしめたものである。

よつて、以上の申立人の処理について案ずるに、既に弁済として供託を了した上、そのことを裁判上に主張し、かつ、その事由によつて競売開始決定取消の申請が認容された事態のもとにおいては、申立人としては供託取戻を図る依頼者にたいし、よく事由を説き、これを指導して飜意にいたらしめるか、あるいは、依頼者の不信義の挙措を防止すべき適切の措置を講ずべきであつたにかかわらず、供託金取戻および取戻供託金の処分について、却つて協力的処理をなしたことは、弁護士の執務として批難せらるべきものというべく、弁護士法第五六条により懲戒すべき行為に該当すること明らかであるといわなければならない。しかし、申立人が前示処理に出たのは依頼者の要請執拗で拒みかねたことに由ることが多く、現在その非を反省し、今後の執務上充分戒心すべき心情を抱くものであることを諒とし、彼是れ諸般の事情を斟酌して前審の懲量を寛和するを妥当とみとめ、主文のとおり議決したしだいである。

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